桧原神社 水のレメディ

前回、36スピリットウォーターレメディの神社仏閣の一つ
石清水八幡宮へ行ったときの体験がとても大きいものでした。

もっと、レメディを知りたい!

その思いが高まり、ポツンとできた空き時間に、
えいやっと、思い立って、行ったのが、今回の桧原神社でした。


ホメオパシージャパンの社員研修にも入っているという神社。
三輪山にも石上神宮にも行ったことがあったのですが、こちらのことは、全く気が付かず。。。ようやっと、縁をいただけました。

神社には、平日だったのもあってか、社務所のところに一人座っている方がいるだけ。
参拝客は他にはいませんでした。

自然に囲まれたというより、神社を自然が囲んでいるという感じ。見渡す限り美しい自然の中に、清々しい空気をまとった境内が鳥居に囲まれてありました。

鳥居の内側は、入っていいのだろうか?と迷うほど、砂紋が、美しく整えられており、
その上を歩いて、本殿に向かいます。

朝は雨だったのですが、すっかり天気は良くなっていました。
でも、きっとここも朝は、まだ降っていたはず。雨の中砂紋を整えられていたのかもと思い、その精神性の高さに心が揺さぶられました。

奈良のこのあたりは、車で走っているだけでも、清々しく気持ちの良い空気が感じられますが、特にこの神社は特別な空気を感じる場所でした。

お参りを終えた後、
境内を回って歩きたい気持ちと、砂紋を壊したくない気持ちとの板挟み。

さらには、一人でこの神々しさの前に立っていることが、畏れ多い感じがして、いそいそと境内の外に出ました。

桧原神社の水のマテリアメディカ

人に頭を下げたくない・指図を受けたくない人へのレメディです。
負けたくない。コントロールされたくないという気持ちが強く。昔、強いコントロールを受けたり虐げられていた過去があり、その辛さを知っているがゆえに、その気持ちが強くなっています。

勝ち負けにこだわらない。負けてもいいと思える。謙虚になって、譲る気持ちが芽生える。

この神社の手水から作られています。

私の体験

この神社をお参りする際に、面白かったのが、先にリサーチしたことがほとんど役に立たなかったことです。事前に行きたいと思っていたので、近くに、どんなところが他にあるのだろうと探っていました。ところが、行ける!となった当日はそれらの場所がことごとくお休み。

また、思ったより行くのに時間がかかり、一緒に回ろうと思っていた、神社仏閣にも行けませんでした。突然空いた時間だったのもあり、ついた後のことは、現地で調べればいいやと、気楽な気持ちで、向かったのですが、カーナビに使っていたスマホが気が付くと、充電がほとんどなく、なんと、ちょうど、到着したところで力尽きてしまったのです!

帰り道すらわかりません。
なんとか、到着したけど、これからどうしよう。。。
もと来た道を戻ると言っても覚えているかな?
とにかく、神社を参拝するしかない。と絶望的な気持ちで、車を降りると、
山の中に本当にすがすがしい立派な神社がありました。

お参り後、先ほども書いたように、その神々しさに圧倒されすぐさま境内を出たものの、
さて、これからどうしよう?

レメディになった手水は現在使えなくなっていました。水に触れずに帰るのはなんだかな。

だけど、スマホもなく、このあたりの情報についても、ほとんど頭に入っていませんでした。どこかに水が湧いてないかな?とりあえず、神社の周りを歩いてみるも特にそれらしきものはありません。

周りは見渡す限り、美しい自然。それらを見ながら、もう帰るしかないのかな。
だけど、ここを離れがたい!

特に向かって右側がなんか気になる。。。

右側には、山へ入るような道があるのです。
(そこは山の辺の道で三輪山につながっていたのですが、その時は気が付かず。。。)
でも、山に入るような恰好をしてもいないし、民家への道だとご迷惑をかけるだけだし。。。とそこには行かず。どこに行くという知恵もうかばず。
神社の外側をぐるり。(1分もかからない)
もう、行く場所もないし、帰るしかないとあきらめ、
最後にもう一度お参りすることにしました。水に触れられなくて残念だったなという気持ちのままに。

すると、鳥居のすぐ前にある茶屋に行ったほうがいいという言葉が降りてきた気がしました。茶屋は、さっき周りを廻った時に、様子をうかがっていたのですが、お店の人の気配はありませんでした。開いてはいるようだけど・・・。

だけど、お参りの際の言葉に勇気をもらい、お茶屋さんを尋ねることにしました。
すると、さっきと違い、すぐにお店の方が出てきてくれました。
「突然鳥が鳴きだしたので、びっくりしてでてきた。」とお茶屋さん。
私がお茶屋さんの近くに来た時に、ホトトギスが急に鳴きだしたようなのです。

その後、誰もいない店内で、お茶屋さんは、
様々話をしてくれました。とても興味深い話でした。

更に、さい神社というところがここから歩いて行ったところにあって、そこに行くといいよ。とのこと。それは、私が気になっていた、右側の道を進んだ先にありました。

もちろん、そのままさい神社まで行きました。

神社仏閣に詳しい方はもうお気づきかもしれませんが、このさい神社とは、三輪山の狭井神社のことでした。薬井戸と呼ばれる、万病にきくという水があります。

お水をいただいて、私は帰路につきました。

帰りは、ナビがない中、うろ覚えの道を、なんとなくの方角を便りに戻ってきたのですが、
自分の直観を信じて、間違えることなく家に戻ってこられました。


コントロールを手放す

このレメディのマテリアメディカは、勝ち負けのこだわりです。

このレメディが自分に必要だとは思っていなかったのですが、間違えたくないという思いは人一倍強くありました。間違えたくないというのは、この負けたくないということと同じなんだと今回の経験で気が付きました。

私は常に間違えたくないという思いがあったので、右側が気になるけど、右側には行かず。
お茶屋さんもなんとなく、気になるけど、お茶屋さんにもいかなかったのです。

だけど、お参りしたことで、勇気をもらい、自分を信じることができました。そして、自分の直観に従うことで、思いもよらないご縁をいただくことができました。

帰り道も、ほとんど直観に従って帰宅することができました。周りを気にせず、ただ自分の感じる物を信じればいいのだという体験があったからこそだと思います。

ホメオパシージャパンの由井先生が、このレメディの話の際、コントロールできない状態に身を置くことの大切さをお話していたのを思い出しました。

この日の経験で、私は、
コントロールできない状態に身を置く大切さを教えてもらいました。

コントロールしたいという思いは、負けたくない間違えたくないと思うからです。だけど、コントロールできない状態に身を置くことで、目には見えないものの力を強く感じ、勝ち負けなんてどうでもよくて、ただ、全てに支えられていることや感謝に目がむくのだなとあたらめて実感したのです。様々なものに支えれれているのです。

現代、スマホも現れて日常の様々な局面でコントロールができるようになりました。
逆にコントロールできない状態を不安に感じるようになっていると思います。
それと、目に見えない力に対する畏敬の念が少なくなってきていることや勝ち負けというのを必要以上に主張することは関係があると思います。

良い悪いの価値観を捨てる為にも、コントロール、勝ち負け、常に正しくありたいなどと思う方は、このレメディを検討してみるとともに、コントロールできない状況に自分を置いてみることをお勧めします。実は、たくさんの人や物や見えない力が、自分を助けてくれていると気が付けると思うからです。


神社仏閣巡りをすることは、それを目的にしてしまうと、自分と場違いな場所に行ってしまうような気がします。
だけど、少しづつ、縁を感じた場所に行くことを続けていければと思っています。


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日本ホメオパシーセンター京都京田辺 結恩