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ホメオパシーは身体に気付きを与えるものです

私の相談会ではそれにプラスして意識にも気付きを得てもらいます

そうすることで、身体と心が少しづつ気付きを得て、相乗効果で大きな気付きを得る仕組みになっています。

この気づきですが、何のためにするのかというと、実は免疫の話とつながっています。
心の気づきも、健康へつながっているのです

免疫とはなんでしょうか?

免疫とは「自己」と「非自己」を生物学的に識別、「非自己」からの攻撃を排除して「自己」の生命を維持する生体の働きをいう.

とあります。

「自己」と「非自己」を識別すること。
そのためにはまず、それは「自己」なのか「非自己」なのか気づかなければなりません。これに気が付かせてくれるのが同種のレメディ・ホメオパシーなのです。


意識レベルでも同じことが起こっています。

過去にあった、辛い体験から、自分の思考ではないことを取り入れてしまうという事はよくある事です
間違えたから、正しいことをしようとしての行動かもしれません。
でも、このような事が自分の中に積み重なり、自分ではない思考というのが入ってきます。

例えば、
「勉強しないと駄目になる」と言われていたとします。

子ども心に、そんなことはないだろうと思うかもしれませんが、実際、テストでよい点を取ると褒められて、悪い点だとダメだといわれます。

勉強しないと駄目になるんだと、思い込んでしまいます。

これは、自分の思考ではありません。

だけど、その思考がずっとついて回っていき、それは、成功しないと駄目といったものに変化していくかもしれません。そのためにひたすら頑張る。といった行動が起こりそれがずっと続き、身体も心も疲れてしまう事があります。

この時、「勉強しないと駄目」という言葉は、もともと自分の言葉じゃないですよね?
このことに気が付くと、そうだったのかと、自分の中の鎖が外れたような感覚になります。これが、精神上での「自己」と「非自己」の識別になります。


実際は、もっと複雑になっていますが、このような自分の中の「非自己」の思考を見つけてとっていくことによって、どんどん心は楽になっていき、身体も元気になってきます。

身体と心はつながっています。なので、ホメオパシーとカウンセリングを一緒にしていただくことで、片方からだけでは、外していけないものを、外すことができるようになっているのです。


その結果、
「自己」だけの思考で判断できるようになり、シンプルに物事が見えてきます。

物事はとても、シンプルです。自分がどう思うか。どう考えるか。どうしたいか。

それをやればいいだけです。ところがこれが複雑になっている人は、なにか自分じゃないものからの言葉をもとにこだわり思考を作り出してしまっていることがほとんどです。
そのため、本当に自分がやりたいことができなかったり、分からなくなっているのです。

自分がやりたい事をやると、スムーズにすべてか動いていきます。

「自分でいる」という事がとても大切な理由はこのためです。
そして、そのように行動しているとき、人はとても健康でいきいき、いられるのです。


非自己への気づき

相談会では、ホメオパシーで、身体の中の非自己に気が付く、
同時にカウンセリングの中で意識の中の非自己に気付いてもらう。
交互に何度も繰り返すことで、
2本の線が織りなすように重なり、少しづつ自分というのがはっきりしてきます。
それと同時に、自分じゃないものも明確になり、どんどん手放せるようになっていきます。





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人が幸せを感じるために必要なものの一つに、感謝があるということが、脳科学でわかったという記事を読みました。

相談会をするうえで、それはすでに感じていたことだったので、やっぱり!
と思うと同時に、幸せを得るためには、感謝をすればいいというその記事の内容に、違和感も覚えました。

感謝とは

というのも、感謝してくださいと伝えてもなかなか、感謝は生まれないものだからです。
感謝ができないから、幸せを得られないというよりは、
感謝するためには、安心感が必要で、それには信じる気持ちが必要だからです。

この3つは切っても切り離せないものです。

そして、これを育てていくのは子供時代が一番よく、子供の時に、神様の話だったり不思議な話を聞いて、それを信じる体験だったり、見守られている安心感だったりがあると自然に感謝は生まれてくるのです。サンタクロースはその一つの例です。

感謝は、やりなさいと言われてでてくるものではないのです。

子供と感謝

子供を育てる時、感謝しなさいと育てている方もいます。それが間違っているとは思いませんが、それだけでは、本当の感謝はできないと思います。


我が家の子供がまだ4歳くらいのころ、ものには、全て神様がいるんだよという話をどこかで聞いて来ました。我が家の真ん中の子は心配性で、私がスリッパをはいているのを見て、

「ママ、スリッパにも神様がいるけど、踏んでない?」と心配して私に聞きました。

「大丈夫。神様はスリッパの上の方にいるから」と私がいうと、自分の座っていたカーペットを見て、

「カーペットの神様はどこにいるの?」と心配して聞きました。

我が家は、電気カーペットを使っていたので、

「スイッチのところだから、大丈夫。踏まないでしょ?」と答えました。

周りにたくさん神様がいるというのは、見守られる安心感につながると思いますが、それを信じるという事は、大人になったとき、感謝につながります。
バカバカしいやりとりに聞こえる方もいるかもしれませんが、この時、この子の中で感謝の気持ちが育っているなと思いました。

いくら、感謝しなさいとかありがとうって言いなさいと言われても、神様なんていないよ。
世界は怖いところだよと教わっていたら、感謝やありがとうの気持ちは、まったく別のものになります。

まず、不思議なことを信じる気持ちや安心感を育てることが大切だと思います。

自然に触れる

その二つを育てるのに一番いいのは、自然と触れ合うことだと思います。

自然には、絶対的な安心感があるからです。
自然の中にいても安心感を感じないという方もいると思いますが、
そこで安心感を感じるか感じないかはあまり関係ありません。
大事なのは、不変ということと美にあると思います。

自然は、社会のルールと全く関係ないところでそこにあります。それは、怖さでもあります。泣いても叫んでも助けてくれません。そこにただあるだけ。その絶対性が、安心につながるのです。

これを少し身近にすると、判断がコロコロ変わってしまう親の子供は不安になりやすいことでわかります。状況によってルールが変わるのはもちろんあると思いますが、昨日はよかったのに今日はダメという事を親の都合でしていると、子供は不安になります。どんなに泣いて嫌がっても、ダメと言ってくれるその姿勢に子供は安心するのです。

また、自然に触れていると、自然に対して畏敬の念を持ちやすいです。
その圧倒的な美しさと厳しさ。

畏敬の念というのは、信じる気持ちとつながり感謝につながります。

大人になったら

では、大人が感謝をできるようにするにはどうすればいいでしょう?

それには、2つのことがあります。

一つ目は、ルーティンを作ること。
安心感は繰り返しによって得られます。先にルールが変わらない事から安心感を得られると書きましたが、それと同じです。自分がどんな状況でもルーティンだけは守る。

なので、無理なルーティンは組まないでください。絶対できることを取り入れるといいです。朝起きたら、カーテンを開けるとか、午後7時になったら、外をみるとか。
時間が固定されている方が安心感によりつながりますが、
続けられることが一番重要です。

同じことを同じ時間に繰り返すことは、

続ければ続けるほど安心感を作ってくれます。


2つ目は、自分がなにかに支えられているのを発見してください。

感謝を発見していくのです。

最初は、たいてい、親や家族から助けてもらっているというような発見をされますが、

それではまだ駄目です。

自然や日々の自分が本当に手が届かないところへの感謝を見つけられるとゴールは近いです。それは、畏敬の念に近いものだと思います。

畏敬の念が持てると、それは安心感と信じる力が育ってきているときです。
感謝という気持ちが出てくると思います。


感謝の気持ちがたくさんになったとき、

幸せというのがなんだかわかるようになります。

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私は、だいたい4年に一回ほど、身体の変動があるようで、
今年がどうやらその時期だったらしく、変動があったので経過を書いてみます。

ここ数年、年末か年始に風邪をひいていたのですが、それが昨年末からありませんでした。
センターに来てくくださっている方には、風邪を経過することの大切さや方法をよく話をしますが、風邪は経過すると気持ちがよく、身体もすっきりするものです。
なので、なかなか、風邪をひかないことがなんとなく気になってはいました。

食べ過ぎたときや季節の変わり目に、少し体調が落ちたりということはあったので、軽い風邪をひいて経過しているのかなとも思っていました。

今年は暑い夏を過ごし、長い残暑でした。身体の疲れもたまっており、
そろそろ風邪をひきたい。

身体が、なんとなく、重いような、肩もなんとなく動きずらいような、そんな気がするようになりました。周りでも風邪が流行ってきたのもあり、思い切って風邪ひけるといいなとなんとなく感じていました。また個人的にストレスがかかる事があり、精神面でも落ちていました。


10月の排出

10月初め
それは、突然やってきました、
夜、寝る前に肩がとにかく凝ってなんとかしたいとぐるぐる回していたら、
急に気持ち悪くなり、吐き気とめまい。そして下痢。
急な排出にびっくりしました。なかなかとまらないので、レメディを摂りました。
とりあえず、急だったので、ACON でも、排出は止めたくないなという気持ちもあり、
そのまま様子をみました。21時くらいから3時くらいまで続いたでしょうか?
さすがに、止まってほしくなり、ArnやStaphy、Chinなどを試しました。
Staphyがよかったようで、そのまま眠れましたが、翌朝起きても、気持ちの悪さは続いていました。

このまま、断食をしよう。

今年は残暑がながかったので、食べすぎ注意してくださいねと繰り返し伝えていたのに、自分は、節制があまりできていませんでした。

ちょうど、お休みの日だったので、そのまま断食をして過ごしました。

一日経つと、気持ち悪さはとれましたが、ふらふらした感覚と下痢は続いていました。大根の梅すり流しをしたいと思っていたので、1日断食した翌日たべました。
だけど、その後もまだ、食欲もなく下痢が続く状態だったので、
そのまま食欲が出るまで、さらに断食しようと決断。

断食生活

そして、通常の生活をしながらの水のみの断食生活が始まりました。最初は、2,3日で食欲が出てくるだろうと軽く考えていましたが、まったく食欲は出てこず、でも元気はあり、ふらふらすることもありません。お腹が鳴ることもなく、いつも以上に作業がはかどるくらいでした。

水しか飲んでないけど、どれくらい行けるだろう?と不安におもいながら結局1週間続きました。まだまだ続けられる気はしましたが、翌日、丸一日外で立ちっぱなしの予定があったので、1週間水だけの身体で乗り切れるか不安になり、念のため、前日から少し食事をとったほうがいいだろうと思い、おにぎりをよく噛んで食べました。

おにぎりを食べると、どんどん食欲がでて、もっと食べたいと思うようになりましたが、
1週間も断食しているので、少しづつと思い、その後はお味噌汁や酵素ジュース等を中心に少しづつ量をふやしていきました。

食べ始めると断食して止まっていた下痢が再開。
あれ?まだ続いてたの?と思いながらも、小食を続けていました。

11月に入って

2週間以上そんな日々が続いたでしょうか。11月の声を聴くころには、すっかり下痢も治まりました。これだけ排出したんだから、身体の大掃除ができたに違いないと思っていましたが、なんとなく、まだすっきりしていない気がしました。
まだ風邪はひけてないのかも。

そして、ついに11月半ば、今回も突然喉がいたくなりました。これは風邪だ!
その痛みはかなり強く、そうとう経過するのに時間がかかりそうだと思いました。
でも、またしても、ちょうどお休み前日の夜(しかも、その週は子供の予定等があったため4日ほど仕事をお休みにしていたタイミングでした)このままレメディは摂らずに経過させよう。

翌朝、熱があがるかな?もしかしたら熱あったかもですが、思ったほどはあがらず、そのまま予定通りに過ごしました。だけど、若干意識はもうろう。匂いなどの感覚器が全部鈍くなっていて、こもった感じで過ごしていました。咳も出てきて

咳の経過

結局、熱は上がらず、咳が一番ひどい症状でした。

その咳の経過が面白かったです。
最初は喉の痛み、そこから咳が始まりました。喉頭あたりの痛みでした。
最初のころは時々咳が出るくらいですが、感覚器が全部ぼわーっとなっている状態でした。

その翌日には、感覚器のボーっとが取れて咳だけが残りました。ただ、痰がからむような咳になり始めました。気管に痰が絡み始め、3日目が咳としては一番つらい日で、気管に痰が絡んで、息がしずらい状況でした。明後日から仕事だから明日にはよくしないととここで初めて焦り、RUBY30Cをとりました。
これがまた素晴らしくよくて、だるさやボーっと感はなくなり、良くなると確信。

でも、そう一筋縄ではいかず、翌日、その痰がさらに下に降りてきました。もう、
肺に近い感じなので、気管支にも炎症が起きている感じ。昨日のくるしさはないですが、深いところに痰がからんでいるので、咳が深くなりました。ゴフゴフ苦しそうな咳がでているので、周りの人が心配になる咳です。

炎症の感じなどがよくなっているので、本人は大丈夫よくなっていると感じるのですが、周りは悪化しているように見えるようで、心配されました。


そして、翌日、この日はスカイプ勉強会だったので、やらせてもらいましたが、かなり深い咳になっていました。肺がゼロゼロ言ってる状態です。
痰を出す方法を朝から、がんばってやってようやっと、一定量出したことで、話せる状態。
身体は元気で、頭も動くのですが、時々、ものすごくせき込むので、
受けてくれた方には、ご心配をかけてたことと思います。

症状が中に入ってきていますし、下に下がっています。治癒の法則と考えると、悪化しているように見えますが、本人はいたって元気なので、これはよくなっていると感じていました。

その通り、この翌日から今度は咳がだんだん上に上がってきて、咳も少なくなりました。それから、数日で咳もほとんど出なくなり、それと同時に10月から続いた変動も終わったなと感じるくらい身体が軽くなってきました。

あーすっきりした。


経過して思った事

・普通は、判断難しいだろうなという事。
思っている通りになかなか身体はよくなってきてくれません。
初めての方は不安に思うかも。だけど、身体のことを信じて待っていれば必ず良い方向に向かってくれます。今回は、不思議な自信というか感覚がありましたが、ここまではっきり感じたのは初めてで、これがないと不安になってこじらせることもありそうだなと思いました。

・精神的落ち込みも気付けば解決
不思議だったのですが、身体の変動前にすごくショックなことがあり、落ち込んでいたのですが、変動後はその感覚が全然なくなっていました。心と体のつながりということでしょうか?気持ちのしこりもすっかり流れてしまったようでした。

・断食を続けていればよかったかも。
咳の間は、小食で水分多めで過ごしましたが、もしかしたら、断食を1週間でやめたせいでこの咳の風邪はあったのかな。頭で考えずに、身体に従えばよかったと少し後悔。

・身体はちゃんとわかってくれている。
必ず、仕事が休みの日になるというのがすごい。風邪をひくときが年末なのもそうでしたが、今回も、この日しかないという時にぴったり風邪をひいてました。
(私としては、せっかくの休みだったり予定あったのですが。。。)
身体は計画してくれているんだなと改めて実感しました。
もっと身体や感覚を信頼したいと思いました。



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今年の目標を毎年必ず決めますが、すぐに忘れます。でもそれが大切だと思っています。

忘れることによって叶うからです。

昨年もすっかりその年の目標を忘れて過ごしておりました。
翌年になって、そういえば、昨年の目標をブログに書いたようなと思いだし見ると、

「脱・効率」

それを見て、初めて私の中に効率よくするという言葉がなくなっていることに気が付きました。それについて全く考えることがないです。ということは、きっと脱効率できたのでしょう。よかった。忘れたことがよかった。


そして、今年、一年も後半の今、そういえば今年の目標はなんだっけと思いましたが、やっぱり思い出せません。また忘れてる。


今度は、手帳を開いて見返すと、今年の目標は、「言葉を形に」でした。

私は思考系の人間のようで、放っておくとあれこれあれこれ考えてしまいます。

だけどそれを形にすることはあまりありません。ブログも昨年はほとんど書けなかった。。。でも、その間も様々な事を思考しました。

思うだけじゃなく、書いたり話したり、人に伝えることで何かが生まれるきがします。

物質として何かが生まれるときもあれば、そのまま昇華していくこともあります。
だけど、どちらにせよ、形が与えられたことには変わりなく、
自分の中にできたその芽を産まずにいるようりずっといいように感じます。

そのため、この目標を考えました。

びくりしました。ちょうど、一ヶ月ほど前、「言葉を形にするのが上手ですね」といわれたことを思い出したからです。それを言われた時には、もう、目標のことなんて忘れていて、「そうですかね~」なんて言って喜んでいました。


今年もどうやら忘れていたことで、目標が達成できていたようです。

七夕の時期、野口整体では、お願い事をする会がひらかれるそうです。
そこでは、お願い事をかなった形で書き、そして忘れることが大切だそうです。

書くことと忘れる事。

私の今年の新年の願も無事叶ったようですし、
今後もこれを繰り返し、願いをかなえていきたいです。

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今年は本当に暑かったですね。

湿度がとんでもなく高い梅雨もつらかったですが、この暑さも身体の体力を奪いますよね。

身体に負担をなるべくかけずに涼しく過ごす方法をいろいろ考え、無理なく過ごしてください。

これだけ暑い日が続くと体の不調や不快な症状などもでてきます。
レメディを使うほどでもないけどという時マザーチンクチャーという選択肢もあります。
このところ、マザーチンクチャ―について聞かれることが増えたので、ここで少しご紹介しようと思います。


マザーチンクチャーとは

植物をアルコールにつけてそれによって得られる抽出液のことです。
(レメディを制作する上で、最初に作られるものもマザーチンクチャ―とよばれますが、ここでは、植物をアルコールにつけた抽出液のみをさしています。)

基本として、毒性のない植物をげんりょうにしたもので、飲用が可能です。
植物というのは、自然界で様々な役割をもっています。その中でも、ミネラルを鉱物からもらって、動物や人間に分け与えるという仕事をになっています。
また、植物に心を癒される方も多いと思います。

使い方

いくつかマザーチンクチャ―の使い方をご紹介します。

飲用は、20滴ほど朝晩とってみてください。
摂り方の厳密な決まりはありませんが、アルコールなので、悪影響にならない程度であればそれほどきにすることはありません。

お掃除や外用には、お水に、キャップ数杯入れて薄めてご使用ください。

期間については、1か月ほどを一つの目安にしてください。

カレンヂュラ

マザーチンクチャーの中で、何か1つと言ったら、これをお勧めします。
ケガの消毒:私は、救急セットにも入れています。しみるので、水で薄めて使用ください。

水虫:このチンクチャーを薄めたものに足を付けてみてください。

ものもらい:上記と同じように水で薄めて

食あたり:夏、身体に合わないものを食べたとき等、こちらも少し薄めて20滴ほど直接。

それ以外にお掃除にも使えます。

拭き掃除のときに水にたらしてみてください。床の吹き掃除など水で薄めた液体をスプレーで振りかけてもらってもいいです。


プランターゴ

虫歯・口腔内の炎症の際に、水で薄めた液でうがい

口の中の痛みや痛み全般に:遮光瓶のスプレー瓶にいれてもらい、口腔内にふきかけてもいいです。

厳しい環境を耐える人にあっています。

歯茎の腫れは、歯ぎしりやくいしばりなど身体の緊張から来ている場合もあります。プランターゴで対処療法をするだけでなく、緊張を減らすアプローチも気を付けてください。

アルファルファ

消化不良・影響の吸収が悪い時:薄めて直接おとりください。

食欲がない人にもいいですし、食べるけど栄養が取れない方にも。

病気の時や快復期、腸へのサポートに使います。

アートメジア

貧血の方や、冷え性の方へ 血液の問題につかえます。
(貧血には、バイタルソルトもおすすめです)

夏は、外で汗をかき、室内に入るとクーラーで寒く汗が冷えるので、冷えの時期でもあります。この時期、寒くて寒くてという方には、アートメジア試してください。


エキナセア

これは、比較的一般的に使われていると思います。
お茶などでもよく目にされるとおもいます。

よく知られているように、感染症が心配な時などにとっていただけます。
虫に刺された時も使ってみてください。

季節の変わり目は、寒暖の差が激しくなり、免疫が下がってくる時期です。体調を大きく崩す前に、身体のサポートに使っていただけます。



マザーチンクチャ―について更に知りたい方は、

『ハーブマザーチンクチャ』という本があります。

こちらをお読みください。

「いつも自分のことばかり考えている自分が嫌なんです。人に親切でいたいのです。」

このようなことを相談会で言われる方は多いです。

このような言葉を聞くたびに、人は人に親切にしたいと思っているんだなと実感します。

だけど、実際は、相手に厳しいことを言ってしまったり、意地悪なことをしてしまうこともあるんです。とのこと。そしてさらに自分を責めるという悪循環にはまっています。


相手に親切にしたいという方に伝えたいのは、

「あなたは自分に親切ですか?」

ということです。こういう方は、自分に厳しく、自分はダメだと思っています。

何もできない人間でもっともっとがんばらなくてはいけない。

自分が自分にやさしくできないのにどうして人にやさしくできますでしょうか?


もし、周りにやさしくしたいのであれば、まず自分にやさしくしてください。それが、人にやさしくする近道です。

といわれても、それはわかってるんです。
でもなかなかむつかしいです。自分にやさしくしたいけどできないだから今に至っているのです。そもそも自分が本当にダメな奴なんです。

そう思ってしまうのには実はいくつか理由があります。
その一つは、自分以外の人の内面は見えれないということです。

あの人は、素晴らしい人だ。すごいいい人。なんでもできる。あこがれる。

自分もそうなりたい。でも自分はいい人ぶっているだけで、心の底から人を信頼できていない、頑張りも足りない。だからダメだ。

そんな風に思ってないですか?

誰もに欠点があり、誰もに悪い心があります。とても当たり前のことです。だけど、他人は、他人にそれをみせないので、まるで存在しないように見えます。そして、自分だけがそれを持っていると思い込んでしまっています。

これが大きな勘違いです。

とはいえ、なかなか他の人にも悪い所があるとは思いづらく、ただ、自分を責めてしまいがちです。

まず、自分はダメだとなるとまた元の木阿弥なので、まず、自分の良いところを認めてください。そして、悪いところも。それをすることにより、自分が満足をして、周りにもどんどん寛容になれます。自分と同じようにみんな自分を大切にして欲しいと思うようになります。良い面だけの人はいません。なぜなら、物事のすべてに裏表があるからです。

自分の悪い面は裏を返せばいい面だったりするのです。なので、その受け入れがたい点も受け入れてみてください。


「嫌なことばっかり言われるんです。こちらの言い分を全く聞いてくれないんです。私としては、その人とコミュニケーションして少しでも希望に添えればと思って話しているだけなのに。」

職場の悩みではこの悩みが多いです。
この場合は、相手も同じことを思っていると思います。とお伝えします。

お互い嫌だなと思っているとコミュニケーションはうまくいきません。

相手に対して少しでも親愛の気持ちを持てますか?

と聞くと、難しいといわれる方が多いです。

嫌なことを言われ過ぎてもう顔を見るのも嫌です。となっています。

これもやっぱり、自分をしっかり大切にできてない事が原因のように思います。

まず、自分は相手にどうして欲しかったのか考えてください。何を受け入れてほしかったのか、どう接してほしかったのか、それなのにそうしてもらえなくて何が辛かったのか、それをどれだけ耐えていたのか。自分の気持ちを嫌というほど聞いて、受け入れてあげてください。その中には、仕事なんだから、それくらい我慢しなよという気持ちも出てくると思いますが、そんなの無視してひたすらきいてあげてください。自分が辛かった部分に共感してあげてください。

自分の意見がしっかり認められ受け入れられたら、相手の意見が少しわかるようになるものです。そして、相手もやっぱり受け入れてもらいえず辛かったんだなと気持ちを共感できるようになると思います。

この時、自分の意見を受け入れる前に相手の気持ちを考えてしまう方がいますが、それは、絶対にやめてください。まず自分の気持ちを全部受け入れる事が大切です。相手の気持ちもわかるじゃなくて、どんな理由があったって嫌なものは嫌です。

そうすることで、ようやっと本当に相手に対して、少し親愛の気持ちを持てるようになってくると思います。

自分が好きだと思う人とのコミュニケーションってスムーズにできます。

それは、コミュニケーションがスムーズだからその人が好きなのもあると思いますが、心が開いているかどうかは大きいです。

人間には必ず悪い点があります。そして、良い点もあります。

相手の悪い所をみないようにするといいところも見えなくなってしまいます。

あの人のこういう所嫌だな。というのを受け入れ自分はそれが辛いと、自分の感覚もしっかり共感したらその人の良い点も見えてきます。

それには、まず自分を愛することです。自分の言うことをジャッジしないでください。どんなひどいこといっても、常識はずれな事をいっても、受け入れてあげてください。
それが自分を愛する自己愛ということです。

とはいえ、どうしても合わない人もいます。そういう人と接するのは自分が消耗するばかりです。人との接し方においても、自分優先にするということも大切です。忘れないでください。


レメディを選ぶことはしますが、私は、相談会で判断はしません。

良い方向に行っているか悪い方向なのかというのは、考えますが、

その人自身の良し悪しを判断したりしません。

自分のエピソードを話した後に、その内容に罪悪感を感じて、

「こんなことをするような人間です。私は・・・」

と言われる人がいますが、判断しないので、どのような事をされてこようが私は正直なにも感じません。罪悪感を感じるのはその人の自由ですが、私がそれを叱ったり、おかしいと思いますよということを、言うことはもちろんですが思うこともありません。

ただ、その人が良い方向に向かっているのか悪い方向に向かっているのか、それだけが知りたいのです。なので、思い切って自分の事を話て欲しいです。それを話してもらったほうが、その人のレメディを選びやすいからです。


相談会を離れると、判断する人が沢山いることに、はっとします。

相手の話をきいて、それはよくないと思う。とか間違っていると思うとか。

あの人あんなことしてたのよとかその人がいない所で話す人もいます。

そこにいない誰かの話をするのに、なんの意味があるのでしょうか?

そもそも、人が人を判断したりできるのでしょうか?


相談会では、判断をしないと書きましたが、相談会以外でもあまり判断することはないです。相手をなぜ判断するのでしょう?その判断によるいいことってなんでしょう?

自分の事も判断する必要もないと思っています。


相談会でよく言いますが、

人は、誰かの役に立ちたいと思っていますし、より良い人間になりたいと思っています。

性悪説を唱える人もいますが、それこそが、より良い人間になろうとしている証拠だと思います。
それでも、ルールを破らなくてはいけなかったり、良くないと思われるような事をしてしまう時は、それ相応の理由がかならずあります。

また、生育環境による影響も大きいです。想像できないような状況で必至に生きている人もいます。

そして、理由さえあればとんでもないことを平気ですることができるのが人間でもあります。


罪を憎んで人を憎まずといいますが、まさにそうです。その人が起こした事は、その人を判断する材料にはなりません。

そうやって、自分や相手を信じるというのは大切なことだと思います。
裏切られたら?と心配で判断するのかもしれません。だけど、裏切られる回数より、裏切られるかもと思って相手を判断することで、その相手の信頼を裏切る時間の方がながくなるのと思っています。

自分が主軸にある判断はいいと思います。
私は、これをしたいとかこれをしたくないというのは必要だと思います。

でも、誰かを判断したりしません。一つの側面の話を見たり、聞いたりしただけで、判断できることではないと思うからです。

だから、私は判断しません。

<a href="https://pixabay.com/ja/users/oldiefan-740865/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=3434123">Christiane</a>による<a href="https://pixabay.com/ja//?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=3434123">Pixabay</a>からの画像

JPHMAのホメオパスの方へのお助けをするというスーパーヴァイス制度を始めました。

現在、ホメオパスを目指し勉強中の方で勉強会に来てくださっていた方がおり、その方たちがホメオパスになってもサポートできればと思い手をあげました。

私自信、ホメオパスになったばかりの時は、どうすればいいのかよくわからない事もありました。

卒業したての頃は自信満々だった気持ちもあっという間にしぼんで、どうすればいいんだろう?と途方に暮れるときもありました。先輩ホメオパスに教えて欲しくて、現在のJPHMAに電話して助けを求めた事もありました。

だけど、たいてい難しいケースというのは、なかなか良くならないもので、ホメオパスの方によっていう言ってることが違って逆に混乱するということもありました。
特定の経験豊富なホメオパスの方がケース毎にスーパーヴァイスしてくれたらいいのにと願っていました。

なので、この制度ができたと聞いて本当にうれしく、自分にできる事があるかもと、早速登録させていただきました。


「ホメオパスというのはアーティストである。」

某海外ホメオパスの言葉ですが、まさにそうだと思います。
ホメオパスの数だけメソッドがあり、真実があります。

誰かのやり方をまねるのではなく、その人自身のメソッドを作り上げる必要があると思っています。

その為には、最初は、尊敬できるホメオパスのやり方をまねる必要があります。
それを続けている中から、少しづつ自分らしいメソッドができてくるからです。
だけど、自分らしいメソッドを作り出すまでの過程を教えてくれる人が少ないと思います。
知識やケースを教えてはくれるんだけど、その人独自のメソッドを作る過程をサポートしてくれる人がいない。なので、そのお手伝いができればいいなと思っています。


また、私の勉強会で、いつもお伝えしていることは、

ホメオパシーは病気を治すものではないということです。その方の自然治癒力を揺り動かしているにすぎません。このことは、ホメオパシー健康相談の同意書にも書いてありますし、学校でも繰り返し言われていると思います。

だけど、この意味がなかなかホメオパスになりたての頃はわからないのです。

私もそうでした。
なので、勉強会に来ている方にもこの点をとにかく繰り返し伝えています。

ここがわかる事は、ホメオパスとしてやっていくためにはとても大切な事です。

そうしないと、自分を削る事にもつながってしまいますし、なによりクライアントさんをしっかり観る事ができません。

このようなホメオパスとしての心得のようなものをお伝えしながら、その人独自のメソッドを作っていくお手伝いができればと思っております。

ホメオパスの方、ご興味のある方はお問合せください。


【ホメオパスの方限定】

1回 5000円(約1時間半・スカイプ)

・ケースの相談

・運営について等

QXスキオは使用していおりません。




<a href="https://pixabay.com/ja/users/arturoaez220-20351946/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=6942931">Arturo Añez</a>による<a href="https://pixabay.com/ja//?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=6942931">Pixabay</a>からの画像

相談会での目的は、その人がその人らしく生きる事です。

それは、どのような内容の相談でもかわりません。
その人がその人らしく生きるということをすべての目標にしています。

その人がその人らしく生きるということは、精神的な事だと思います。

だけど、その精神的な領域の事が叶う事が、肉体的身体にも影響を及ぼすと考えています。

その肉体と精神の関係性とはどういうことなのでしょうか。

肉体と精神の関係性

私は、相談会で、その方の気持ちの整理をしたり、また奥の方にある本当の気持ちに気が付くために、様々誘導したり、繰り替し同じことを聞いたりします。その中で気づきがある方も多く、精神的な変化を感じてそれが肉体の変化に至った人などは、

「お話を聞いてもらっただけでよくなっている様に思います。ホメオパシーのレメディって必要なんですか?」

と聞かれたことがありました。

正直、自分自身も、その人がその人らしく生きるということができればいいのであれば、ホメオパシーは必要ない場合もあるのではないかと思ったときもありました。

だけど、それこそ、心と身体が繋がっているということなのですが、

自分らしく生きる為には、越えていかなくてはいけない現実をみたり、事実を受け入れるという事をしなくてはいけないときがあります。

誰もが、自分らしく最初は生きていますが、そこに壁があったり、つまずいたりして、次第に諦めてしまっている事が多いです。

そこで、再び壁を乗り越えたり、立ち上がったりする際には、心の強さ、自分の芯のようなものが必要になるのです。

でもこれは、精神的な事だけで作っていくのは難しいです。

強い心になりたいと思っている人はいると思いますし、様々なセラピーがあります。
だけど、現実にはすぐに不安になったり、悲しくなったりすると思います。

心の強さと身体の強さ

これを超えていくのに必要なのが、身体の強さになります。
心はすぐに強くできないけど、身体の方は強くすることができる時もあります。
そして、身体がしっかりしてくると、心もしっかりしてくるのです。
それは逆もそうです。心がしっかりしているから、身体もしっかりしてくるのです。

このように、精神と肉体が良いスパイラルに入ってくれることそれを誘導することが、
私の相談会のメインになります。

身体の方が弱いという方は、精神の方を高めていきます。

どちらでもいいのです。その人の状況に合わせて。

すこしづつよいスパイラルにできればいいのです。

一方がちょっと強くなると、片っぽを支えてくれます。
そこから、今度は反対側が強くなれます。
それを繰り返していくことでどんどんしっかりしていくのです。

治癒の経過

具体的な例を出して説明していきます。
心が弱り切っている方には、まず、朝同じ時間に起きるやカーテンを一日一回あける等その人ができるかもしれない事で身体を動かすことをしてもらいます。

いきなり心へのアプローチはしません。今できる事を認識してもらい、身体を少しづつ自分の意思で動かしてもらいます。

この時、絶対毎日できるだろうことを選んでもらう事が重要です。

これが、最初の一歩になります。ここから積み上げがはじまります。

なので、できるだけ躓かない絶対できる事を選んでもらいます。
さらには、サポートのレメディが大変役に立ちます。
サポートレメディにより、いつもより、ほんの少しでも身体が楽だと感じてもらうことで、スムーズに毎日身体を動かせるようにするきっかけ作りになります。

最初の一歩は進めても継続というのは、難しいものです。
これには、肉体的な事だけではなく精神的な強さが必要だからです。
ここで精神にアプローチの必要性がでてきます。


精神の問題にはどうやって取り組むのでしょうか?

自分の嫌な面を見る必要はありません。

ただ、自分ができる事をやればいいのです。そしてそれは、既にやり始めている行動です。それができたということが、その行動こそが自分の精神を支えてくれるようになるのです。

毎日カーテンを開ける事ができた。自分が決めたことをできたそれは、小さな自信になります。これが1です。

では、次は、どうしましょうか?開けたのは気持ち良かったですか?
何でもいいです。次にできることを探していきます。それが2になります。

いつの間にかいろんなことができるようになっています。
それが自分への自信につながります。そして、精神が安定してくるのです。

精神と肉体のバランス

この時もう一つ大切な事が、バランスです。

バランスをしっかりとっていかないと逆にどちらかが弱くなってしまうように感じています。現在、トレーニングをする方は多いですが、精神的サポートがないと、身体ばかりしっかりしてしまい、心が追い付かないことが起きているときがあるように思います。

精神的な部分にばかり知識を高めていて、身体が弱くなっている方もいますよね。

バランスをみながら、一歩一歩進んでいきます。

身体がしっかりした時初めて、精神的に辛い過去と向き合うことができるようになります。最初から、トラウマと向き合おうとする方がいますが、それは無理です。

まず身体を作る必要があります。そして、精神的な強さをある程度みにつければ、それはトラウマでもなく、気づけば乗り越えられるものになるのです。

そうなった時、身体の不調が自然に良い方向に向かいます。

なので、私の相談会には、ある程度続けてきてもらうことをお願いしています。一回で奇跡的に変化したりはしません。少しづつ少しづつでも、気づいたら大きな変化が起きていますし、その心や身体につけた筋肉は、決してすぐに元にもどったりしません。

身体が楽になってくると、もっともっと、動かしたり鍛えたりしたい気持ちがでてくる方が多いです。またそれは心の変化にもなりますし、精神的に楽になったからこそ、身体を動かしたいと思うようになるというのも言えるのです。

どんな人もこの繰り返しだろうとおもいます。

世の中にはつらいことが沢山あります。心が折れることも多いです。

そのたびに、これを繰り返すことで人は成長していくのです。


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夢を見ました。

亡くなった父の夢でした。亡くなった祖母もいました。

二人とも笑っていました。

私は、あまり笑える気持ちではありませんでした。それは、夢の中ですが、二人がなくなっている事を知っていたからです。

今までも、亡くなった人が出てくる夢を見たことがありましたが、夢の中ではそれについて知らなかったり、あまり不思議に思わず、受け入れている設定が多かったのですが、今回は、もう会えないということが分かっていて、まるでなくなる直前のような気持ちでした。

二人のお葬式に、二人が笑顔で座っているような感覚でした。
最後に何かを伝えたいけど、それを言葉にすることができない。
気持ばかりがあふれてくるような状態でした。

だけど、誰かが、なぜそんなにつらそうな顔をしているのというように私に目配せしたのです。その人はとても楽しそうにしていました。

その人が、二人はすでに亡くなっていることも知っているようでした。それでいて、私に笑顔を向けてきたのです。

その瞬間、なぜ悲しんでいるのかわからなくなりました。

二人は、これから新しい場所に行くのです。幸せへの旅たちです。
今の身体が窮屈になったから、新しい世界に行くだけなのに。そのようなことをその人は
言葉を使わずに私に伝えました。

目が覚めてとても、幸せな気持ちになりました。

春、別れと出会いの時だからこそ、こんな夢をみたのかもしれません。
もう会えない事は悲しいことだけど、二人は前をみて進んで行ったのです。

死について、私の中で上手く受け入れきれない感覚がありましたが、この夢をみてすんなり入ってきたきがしました。

別れの日まで、今生きていて、一緒にここに存在できるということの素晴らしさをより感じるようになりました。それは、明日にはないかもしれない。
だからこそ全力でその人といたいと思えるだけいて、伝えたいことはちゃんと伝えなくてはいけない。
その思いがより一層強くなりました。

そしてその先へ行くときは、笑顔で送り出してあげたいと思うようになりました。

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先日、いつものように、勉強会を始める為にスカイプで画面を開きました。

ところが映像が暗くて、画面が見えないのです。

その日は、いつもより1時間、早い開始時間になったのもあり、段取りが上手くいかず、いつもなら、5分前にはスカイプを開始するのですが、開始が1,2分後に時間が迫っていました。

このことが一瞬にして、自分を責める意識につながりました。

もっと前から確認しておけばよかったのに!5分前に始められなかった、ダメな自分。そのような自分を責める言葉が自分の中で飛び交います。飛び交いながら、明るさなどの設定を変更しますが、全く効果がありません。こんな時は、一度パソコンをシャットダウンさせるしかありません。

もう開始時間になりそうですが、このままだとできない!と思い、
シャットダウンしました。立ち上がるまで数分あります。

その間にも頭はぐるぐる回転しています。
これで解決しなかったらどうしよう・・・。
そうだ、カメラを変えよう!他のカメラを準備していたら、
時間が過ぎても始まらないのを心配した、生徒さんから着信がありました。
ちょうどパソコンが立ち上がったタイミングでした。
生徒さんから連絡をもらうなんて、、、余計焦る私。

焦りながら開いて、事情を説明してみますが、生徒さんの映像もなんだかいつもより薄暗い。。。。お互いが、うっすら見える状況。

焦りながら状況を説明すると、

このままでいいですよ。とやさしく声をかけてくれました。

その声に、カメラをガチャガチャやっていた私も少し、落ち着いて、勉強会を開始しました。

とはいえ、授業の内容も難しいものだったので、気持ちを取り戻さなくてはと思うのですが、準備不足だった自分を責める気持ちが、奥底に渦巻いて、それを感じては、身体がこわばり、焦りが募っていきました。

今、冷静になってみると、本当にちょっとしたことでした。
ごめんなさい。映像暗いのでシャットダウンしてました。遅れてごめんなさい。

それで済む話だと思います。ここまで焦る必要ないと思うのですが、突然の事に、隠れていた、自分を責めるスイッチにスポッと入ってしまったのだと思います。
まだ、残ってたんだな・・・。

割といつもは、悠々自適に過ごしている様に見えると思います。自分でもあまり焦ることはなくて、逆にそういう事を楽しめるタイプでもあります。なので、焦った自分が不思議で面白くもありました。

「自分を責めて良い事ってありますか?それより対応策を考えたほうがいいですよ。」
相談会で私がよくいう事です。自分に言ってあげたい。


野口整体の野口先生の言葉が好きです。その中に、

大股にゆっくりと

いそぐな 翔るな いつも悠々と

楽々悠々 スラスラ容易に いつも何事も

という言葉があります。

そうありたいと、いつも思っています。

だけど、それには、そこに至る道があるんだなと今回経験してわかりました。
自分を責めるというのは、この悠々する気持ちと逆のところにあります。自分では、まだきがついていないそういう癖を一つ一つ手放した先に、その楽々悠々があるんだろうな。

今回はそれに気が付くよいきっかけになりました。


ちなみに、その後、映像はだんだん明るくなってきました。
いつもと時間が違ったため、日の光が入ってくる角度の影響を受けていただけでした。
焦る必要も、自分を責める必要も全くなかったのです。

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道を間違えるということはありません。あなたは正しい場所にいます。

ということを相談会でよく言います。

するとほとんどの方が、
ならなんでいま私は、苦しいのですか?
この苦しみが正解だというのですか?

と言われます。もっともな質問だと思います。


間違いとは?

運命は決まっているという考えを、私はまだあまり受け入れられていません。
でも、私の主張はそれと繋がるのかもしれません。

決まった道を歩いているということなのかもしれないです。

私としては、それは選択していると思いたいと考えていますが、事実として、

現在いる場所が間違えている人はいないということは、それを示しているのかもしれません。

逆に、間違いとはなんなのでしょう?何に対して間違えるということがあるのでしょう?
自分が欲しないことをしてしまうことがあったとしたら、それは間違いかもと思います。だけど、欲しないことをすることって本当に難しいです。

例えば、充実した仕事をしていて、もっと仕事を増やしたいと思っているのに、体調を壊してしまい、仕事ができない状態になったとします。私は働きたいのに、病気のせいでできない。その病気を治す為に飲んだ薬の副作用がひどく、日中外に出ることができないほどになってしまった。その薬の害を出してほしくてホメオパシーに出会った。とします。

こんな状態だったら、何一つ間違ってないなんて信じられない。少なくとも、しっかり副作用を理解してから薬をとるべきだったと思うと思います。

だけど、実際はこの一連の流れにはつながりがあり、自分の欲求に従っているという意味では間違いないと思います。

仕事は好きかもしれないけど、本当にこれ以上働きたいと思っていたのでしょうか?

本当は仕事よりもっと違う時間を増やしたいと思っていたのではないでしょうか?それが病気という症状で、出てきたのではにでしょうか?

それなのに、薬を摂って抑えてでも仕事をしたい。となったので、さらにできない状態になる結果になったのではないでしょうか?

そして、その潜在意識の声を意識に届かせるべくホメオパシーに出会います。これも、薬の副作用がなければ、出会えなかった出会いだと思います。薬の副作用の副作用とも考えられます。


必ずしもこのような理由だとは言えないと思われるかもです。その通りです。
だけど、なにかそこから逃げたいことや気が付きたいことがあり、それを欲している。
それが相談会をしてきての感触です。
なにか思うようにいかなかったとき、なぜ、それが思うようにいかなかったのか考えてみてください。自分では気が付かない無意識の部分でそれを肯定しているのではないでしょうか?

このように書くとかなり厳しく感じるかもしれません。
同じような経験の方は、受け入れられないところもあるかもと思います。みんながこのような理由だとは思いません。思いもよらない理由が隠されている場合もあり、これは例にすぎません。

だけど、間違いはないと思うのです。
現状はあなたが欲したようになっているというのがより正確な言い方かもしれません。

幸せとは?

今の場所が間違えていないということで、私が何が言いたいのかというと、
あなたが欲するように常になっていますよということなのです。
現在の場所を変更することで幸せになれるわけではないということです。
それは、逃げるなという意味ではなく、
むしろ今、その場ですぐ幸せになれますよということです。
あなたは、いまのあなたでいいのです。何者になる必要もなく、そのままで十分幸せになれるということなのです。そのための行動はすべてもうされているのですから。

あとは、気が付けばいいだけなんです。

それでは、幸せとは、何でしょう?

幸せとは、実は、周りにあふれています。それに気が付くことだと思います。
自分が欲するようになっているということに気が付く。
そして、それに気が付くと、症状もよくなっていきます。

では、どうしたらそれに気が付けるでしょうか?

それは、今いる場所が自分のいる場所であると実感することです。


内側と外側に穴のある筒をイメージしてください。その穴がぴったり合わせる場所しか周りを見ることができません。無意識の奥にいる自分と表面上の意識の自分が一緒になった時、幸せな今の場所がみえるのです。

だけど、なぜかみんな、無意識に欲したようになっていることにきがつきません。

過去や未来に囚われていて、今いる場所をみない方も多いです。

勝手に自分はダメだと思ったり、もっと違う道を行く必要があると感じています。

最初に例として書いたように、意識に振り回されている場合も多いです。


今ここに幸せがこんなにあります。そして、それを見れる穴はここにしかないのです。
それは、今の自分を認めたらいいだけなのです。今をみたらいいのです。

なので、私は伝えます。

道を間違えているということはありません。あなたは正しい場所にいます。


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