この言葉によく出会います。
そこで、発達障害という題で文章を書きたいと思ったものの、書きたいことがあふれてなにから書き出せばいいのかまったくわからない状態になりました。それくらいに私にとって、思い入れのある言葉なのだなと改めて実感しました。
発達障害ということを問題にして、ホメオパシーのセッションに来られた方はいままでいません。発達障害が疑われているお子さんをお持ちの保護者の方がそれを遠因として、受けてくださることは何度かありました。結局そのお子さんにレメディをお出しすることはありませんでした。保護者の方が、レメディをとってもらうことで、問題はなくなりました。
元々、私は、不登校の子供達が通う学校で働いていました。そこには、まさしく、発達障害の子もいましたし、疑われている子もいました。その中で私に何ができるだろうとずっと思っていました。ホメオパシーに出会った時、あの子にこのレメディをあげたい、この子にこのレメディをあげたいとその可能性に心躍りました。その後も発達障害の事例報告などを見るたびに、レメディをとってみたらどうだろう?と思っていますが、いまだにそのような機会に巡り合えていません。また、来てくれても、その子にレメディが必要だとは思わないだろうなとも思います。
発達障害という名前ですが、私は障害だとは思っていません。
ただ、能力のバランスがアンバランスでそれが、社会で生きていくことを時に難しくさせたり、注目をあびたりしてしまうというだけだと思っています。
ギフテッドという言葉もあります。この言葉は、日本だと、発達障害というより、天才というようなイメージをお持ちの方も多いようですが、能力がアンバランスの子供達のことです。能力のバランスに著しく差があるということは、高いところと低いところがあるということです。その与えられた部分はまさにギフトだとおもうので、ギフテットというのは、ピッタリだなとおもいます。
そして、どんな子供の能力も完全にバランスよいということはないのです。
どんな子供も、疑いありだとおもいます。
発達障害の子は、社会にかかわることに困難を抱えることもあると思います。支援や理解が必要な場合もあります。だけど、支援や理解することで、社会を変えることができる子供達だと思います。
社会の中の問題点を鋭く指摘してくれます。そして変化させていってくれます。最初は、その人達と共に過ごすために、こちらが努力して理解したり、助けるために手を差し伸べることも必要です。でも、そうしてともに過ごしていくことにより、共同体を変化させ、破壊と再生を行ってくれます。きっと今までより、素晴らしい社会にしてくれるでしょう。その時、こちらが助けてもらったということに気が付きます。
なので、決して障害があるからと、排除したくないです。同じコミュニティの中にいたいのです。いてほしいのです。理解をしてともに過ごしていくことが、すべての人のためになると思うのです。
もし、近くに、なにかしらの障害があると思う人がいて、あなたに、障害がないというのであれば、その人と共に過ごせる方法をあなたが考えればいいとおもいます。
他の場所に追いやるのではなく。
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