情報との付き合い方

インターネットやSNSの出現により、様々な情報に出会うようになりました。
一昔前までは、新聞やTV、ラジオなどを観ていればよかったのに、いまでは、自分で情報を調べ、さらにはそれが正しいのか調べる必要がでてきました。

情報の精度がかわったのでしょうか?それとも情報が増えたからでしょうか?

一昔前と何が変わったのかはわかりませんが、現在、情報をそのまま鵜呑みにしていいと思っている人は日に日に少なくなっていることは事実の様です。

情報を自分で調べ、その真贋すらも自分で見極める必要がある時代になったようです。

情報の渦

昨年の一月末。ご存じだったでしょうか?

フリーダムコンボイという動きがカナダでありました。
ワクチンの義務化に反対するトラックドライバーが起こしたデモです。最初は数台のトラックだったのですが、だんだん数が増えて、大きなうねりになりました。その動きは、世界中に広がりました。

私は、当時カナダに長女がおり、まさに彼女の抱えている問題でもあったので、このデモについての情報を毎日追っていました。一般的に報道されているものは悪いものばかりでしたが、現地に住んでいる日本の方とやりとりしていると、全く違う面も見えてきました。
さらにネットで情報を追っていくと様々な情報がでてきました。
もっと、詳しく、新しい情報が知りたくて、毎日いくつもの情報源を確認するようになりました。

このデモは、カナダのトルドー首相が緊急事態法を法改正後、初めて発動させ、中心人物が逮捕されるということで収まりました。

その後、ウクライナとロシアの問題が起こり、世界の意識はそちらに流れていきました。

私は、フリーダムコンボイについてのその後の事を知りたい為、そのままネットの情報源を様々確認し続けていました。そのうち、ウクライナとロシアの問題についての情報の方がどんどんが多くなり、こちらも様々な情報や意見がある中、どれが真実なのだろうと思うようになりました。

ワクチンについても、同じなのかもしれません。
私は、基本的考えをもっていたので、今回ワクチンの情報を調べることはあまりなかったのですが、多くの方はワクチンに対しても情報を求めていると思います。
また、情報を知ることが求められます。

はっと、気が付くと、
いつの間にか沢山の時間を情報を知ることに費やすようになっていました。
まだ知らない情報が出ているかもしれないと思うと果てがなく、時間があると情報を探っていました。

信じたいことを信じる

だけど、様々な情報に出会えば出会うほどわからなくなりました。

ある一定の情報を信じたいと思うと、そのような情報ばかり集めてしまいます。全く違う意見の情報は論点が違うので参考にならないのです。
また、必要としている情報ばかりが出てくるようにも感じます。必要とするものが現実化していくのです。
そして、一方の意見を見ているとそれが正しいように見えてきます。だけど、もう一方をみるとまた別の観点から事実を述べています。
そもそも論点がすれ違っているので、比べることができません。

本当に必要なのは、その二つの間の答えなのに。
同じ天秤に載せられるような情報が存在しないのです。

どちらも自分の正しさを主張します。自分に都合のよいデータや情報をとってきて、
表に出します。でも不都合なデータや情報については発信しません。

最初は、私も自分の信じたい方だけを調べていました。だけど、それではいつまでたっても答えは見えないと思い、フェイクだとおもうニュースや情報も調べるようになりました。それはそれで、信ぴょう性があるものもありました。でも、どちらが正しいと言えるのでしょう。というより、どちらも正しいのだと気が付きました。

そもそも初めから、答えは、ネット上に存在しなかったのです。


同じものを見ても、見た人の数だけ真実があります。その沢山の事実を並べてどれが正しいんだろう?と悩んでいたのです。どれもその人にとっては、正しいのです。真実なんて存在しません。自分がなにを信じるかだけだったのです。

現代、まさに情報の渦に人が巻き込まれています。そして、私も気づかないうちに、巻き込まれていたと、その時初めてきがつきました。


情報の渦に巻き込まれないためには

ワクチンについてのブログで、情報をよく調べてくださいと書きましたが、今思うと、調べてもわからないかもしれません。私のように、情報に、振り回されるだけになるかもと思います。

答えは、個人の生き方やその人の思想というものの先にあり、だれにでも正しい答えは、どんなに専門家に聞いたって、どんなに沢山のデータを見たって、存在しないです。

自分が信じることを信じればいいだけなのです。

では、その自分が信じることって?なにをしんじればいいのでしょう?
それを知るためには、自分の思想や価値観を見失わないことが大切です。
そのために必要なことは?

それは、【美】だと思っています。

突拍子もなく感じるかもしれないのですが、美しさというものは、調べたり勉強して感じるものではないです。だれにとっても、【美】はあり、それが、自分にとっての正解なのです。なぜなら、【美】の前にあるとき人の身体は整うからです。
また、【美】には正しいもまちがいもありません。人の数だけ【美】は存在します。

【美】を知れば、自然に正しい方向に身体が導いてくれます。気持ちが動かされます。

情報に流されず、【美】にアンテナをはってみることが今は特に必要だと感じています。


【美】について

【美】についてと言われても、なんだかあいまいに感じられるかもしれません。

美の感覚を身に着ける為にはどうしたらいいんだろう?

大人だったら、美術館へ行ってみてもよいのかも。
先人が美しいと思った物なので。
だけど、そこにあなたにとって美しいものがあるとは限らないとも思います。
もっと身近にもあるとも思います。草木の美しさや、日常にあるシーンの美しさ。ただ、自分の思う、美しいと思うものを探せばいいだけなのです。

あるいは、神社仏閣。そこには必ず【美】があります。
お願いをするのではなく、美を感じてみてください。
気の流れがよいとかパワースポットなどと言われる場所があります。
そういう場所にも【美】があります。


自分がなにに美しいと感じるのかがわからないという方もいます。

そのような場合は、ホメオパシーがお勧めです。
相談会では、症状をよくするというより、その人らしく生きるということをテーマとしています。それは、同種のものと出会うことで、自分について発見していく過程をたどるからです。
また、相談会では、外から押し付けられた概念ではなく、内側の自分の感覚に向き合ってもらう時間を作っています。そのための感覚を感じてもらうことにより、自分の【美】に気付いていってもらえると思います。


【美】を言葉にあらわすのは難しいです。
でも、いつも探しています。自分の心が震えるくらい美しいと思うものを。
それに出会っている時は、情報の渦に巻き込まれず、真に自分でいられるように
思うからです。


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日本ホメオパシーセンター京都京田辺 結恩