日常と非日常
ホメオパスの仕事をしていて、視野の広さや視点を増やすことが大切だなと思っています。
この人はどう思って今の言葉を言ったんだろう?
自分の答えとは違う答えをその人はもっています。様々な答えがあります。決めつけないで、聞いていきたい。そのために視野を広げることは必要不可欠です。
ホメオパスとして活動すればするほど、こういう人には、このレメディとか、このことで悩んでいる人はこんな傾向とか、無意識に型にはめて行ってしまうこともあります。
それを経験と呼ぶ人もいますが、クライアントさんは、世界に一人。
同じことはないです。
また、思いもよらない答えをされる方もいます。そこで、この人の言うことわからないとなりたくありません。どんな人の話もその人がその人自身でいるその意見を、うんうんとうなずいて聞きたいですし、理解したいです。
表面的によいとされるだろう仮面をつけた顔ではなく、その人の本心をききたいからです。
だけど、ホメオパスでなくても、そういう輪がひろがったらいいなとおもいます。相手と意見が違ったときも、相手の意見の理由が理解できたらすんなり事が運びますよ。
その為に、私がしていることの一つが畑です。
畑仕事
畑仕事をしたらそれがわかるわけではないです。私の日常とは全くかけ離れたものだからです。畑仕事が好きなんですね。と言われたことがあり,びっくりしました。
正直全くすきではなかったです。本当に辛くて、なぜやっているのか、自分でもよくわかっていませんでした。畑=めんどくさい。
田んぼに至っては、本当に苦痛以外のなにものでもなかった…。
それでも、春が来たら、苗床で苗をつくらなくてはいけません。苗が育ったら、それを植えて、草刈をしないと、ボーボーになっていまうし、そもそも実りません。がんばって草刈をします。秋になってきたら、穂がでてきて、下に垂れそうになるので刈る。刈ったら、脱穀してお米にするしかありません。ここからの作業がまた大変。
足踏み脱穀&唐箕にかけて脱穀して片付けして精米して・・・。ようやっとホカホカのご飯になったといっても、小さな田んぼなので数十キロ。あっという間に食べてしまいます。食べたと思ったら、また田んぼに向かう季節です。
考える暇もなく、ただ続けていました。季節が巡るのでやっていました。好きも楽しいもないです。その季節がきたからやります。それが当たり前。やるもやらないも選べない。やるしかない。その感覚を身に着けたくてやっていたのだと思います。
嫌だからこそ、非日常になりました。考えるより行動の方が大切だということに気づかせてくれました。
ホメオパスとはたけ
田んぼは、仕事が忙しくなるのと同時に辞めました。
だけど、畑はまだ続けています。
ホメオパスの仕事は、とにかく頭を使います。
私の場合、相談会の後も、サポートの為になにができるだろうと、深堀していくので、終わった後は、頭がカチカチになっています。集中に次ぐ集中で、世界中の物質の中から、たった一つの最類似物質を選んでいく作業は、身体も心もぎゅーっと固まっていきます。
そんな私に畑仕事で畑に触れることはリセットになっています。
畑を耕すには足や手先にしっかり力をいれないとできません。頭は使わずただただ単純作業を繰り返します。そういているうちに、ゆっくりとがちがちになった頭や身体がほどけていきます。
私は、集中すると息も止めてしまいがちですが、畑仕事をしていると息もゆっくり入ってくるようになります。身体がゆるやかにのびてきます。暑くて汗だくになり、木陰に入ったとき、爽やかな風が吹いてくると、なんとも心地よく、世界に自分が溶け込んだようなきもちになります。大きくて広い世界を感じ、一か所に行っていた視点がようやっと世界の広がりに戻ってきます。
身体に自分が戻ってきた瞬間です。
身体のリセットと同時に学びの場でもあります。
たとえば、お米を育て続けたことにより、1年の巡りについて実感しました。その季節になったら強制的にやるという行為は自分の内側とつながる行為です。
これにより、1年の身体のめぐりについて実感しました。
他のページにも書きましたが、桜は春にしか咲きません。当たり前です。だけどみんな、どんな季節でも不快な症状がよくなると思っています。とんでもないです。その時期時期にできることがあります。1年かけて身体は変化していくのです。冬に桜は咲きません。咲かせることもできるかもですが、無理をしています。
1年の間には、大変な時期だってあります。だけど時間は経過していきます。その時期をどう過ごすかということが大切です。それが実りにつながります。大変だろうと楽だろうと、ただ季節が巡っているだけなのです。変化がないように見えても大きな変化が起こっていることもあります。実りに向けていつも進んでいるのです。今起こっていることに全力で対処するそれしか方法はありません。
気が付くと、畑に居る事が日常になりました。
非日常を取り入れる
苦手なことを取り入れることが、私は好きです。
それは、新しい視野が広がるからです。そのほかに手仕事を取り入れたこともありました。嫌だし、理解できない。だからこそやります。だけど、これも時間の経過とともになんとなくわかるような気持ちになってきました。
ホメオパスは畑をするべきだとはおもいません。誰もが畑をするべきだとも思いません。大切なのは、日常の仕事と全く違うことをすることだと思っています。できるだけ対局にあることがいいと思います。それは趣味でもいいと思います。実益がないほうがいいのかも。映画をみることでもいいでしょう。だけどつい仕事と結びつけてしまいがちならやめたほうがいいと思います。全く自分と切り離された、もしかしたらあまり好きじゃないことの方がいいのかも。私も最初はそうでしたから。それをすることで、新しい視点ができます。それを得たかったのです。一つのことを極めるといいますが、一つの事しか本当にしていなかったとしたら、それは極められないと思います。本当に素晴らしい職人は、必ずその仕事と別の何かを持っていると思う。
ホメオパスの仕事をしっかりするために、畑をやってたんだなと改めて感じています。
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