また、映画の紹介です。
ドキュメンタリー映画監督 大島新さんの『国葬の日』という映画です。
映画、好きなのですが、観に行く時間がなかなかとれず、実はまだ見てません。
監督の大島さんのインタビューに
「ある程度予想はしていたが、ここまで自分の意見を持たない人が多いのかともやもやした」
とあり、共鳴して紹介したくなりました。
安倍元首相の国葬の日に街でインタビューをしたノンフィクション映画。
国葬に向けて散々メディアでは、反対賛成論が二分していると言われていました。その中で強行された「国葬」
その当日に様々な場所でインタビュー撮影されました。人々が本当はどう思っているのか知りたかったということです。
この映画の完成版をみて大島さんは大変困惑したとのことです。
相談会に来てくださる方にも、自分の意見が分からないという方がちらほらいらっしゃいます。
持ちたくても、周りの意見や植えつけられた正しさが気になって、持てないのです。
また、どこかで聞いたような話を自分の話のようにされる方もいます。それ本当に思ってますか?と聞くと、不思議な顔をされます。そして困惑されます。
そのたびに、私も困惑しています。
自分の意見を持つということは自分を持つということであり、自分がないまま、十分に生きる事なんてできません。また、危険でもあります。
ホメオパシーはその人にぴったりのレメディをお選びするので、その人がわからなくては選びようもありません。
様々なシステムや思想が自分の意見を言う、持つことの前に立ちはだかっています。
この問題を解決するには一筋縄ではいかないです。
今、自分の意見がはっきりわからない。自分の言葉なのか人の言葉なのかよくわからないという方がいても不思議じゃないし、それがダメだとも思いません。
そう言う人もいると思う。
だけど、本当にそれでいいと思っていますか?それでいいんですか?
相談会では繰り返し、その方の感覚についてお尋ねします。
あなたはどう感じますか?
この映画の話を聞いた後、
伊丹万作監督が第二次世界大戦終了後
『戦争責任者の問題』という文章で書いた文章の事を思い出しました。
こちらに抜粋します。
底本:「新装版 伊丹万作全集1」筑摩書房
初出:「映画春秋 創刊号」1946(昭和21)年8月
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
そして、こうも書いています。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
なにが真実だと思いますか?とよく聞かれますが、
誰かの言葉を信じるのではなく、自分の感覚を信じてください。
それに正しいも間違っているもありません。
それは、心地よく、結局自分を守ることにつながるとおもいます。
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