7年前までは、ベジタリアンでしたが、今は、食べたいものを食べています。
ベジタリアンをやめた後数年は、「お肉も食べるのですか?」と私の食事生活について知らないだろう人にもよく言われましたが、最近はそのようなことを言われることもなくなりました。ベジタリアンっぽい雰囲気というのがあるのかもしれないですね。敏感な人は、肉を食べている人はすぐわかるようです。
ベジタリアンをやめて数年は、お肉お肉と肉が無性に食べたかったのですが、今は、ようやっと落ち着いて、料理しても食べたくなかったら、食べないこともあるくらいに戻りました。
ベジタリアンになったのは、15年前です。正食という考えに出会いました。同時に、ナチュラルハイジーン・ローフード・アーユルベーダなどにも出会い、食事ということについて深く考える時期でした。
この時、私は様々な食事について話を聞きにいったり、勉強したりしました。
正食では、大森先生の教えが素晴らしいと思ったので、動物性のものは一切食べなくなりました。ビーガンです。その間に、ナチュラルハイジーンやアーユルベーダを実行している人にも出会い、とても不思議に思いました。マクロビオティックでは、生のものや果物は、NGですが、その人達は、そういうものを大切にしていましたし、それでとても元気に過ごしていたのです。私は、それは、どちらも正しいということだろうと思いました。こちらのが正しいのかな?あちらのが正しいのかな?私はそんな風には物事をあまり考えない性質のようで、どちらも正しいのだとしたら、両方に共通した部分がきっと大切なことなのだろうと自然に思うようになりました。
そして様々な食事の考え方の中で、共通点を探したところ4つありました。
1添加物はとらない
2なるべく身近にあるものを食べる。
3美味しく食べる。
4哺乳類は食べない
なので、基本私はこのスタンスでやっていくことにしました。今も根本の考えにはこれがあるような気がします。
しかし、その間にも私をとりまく世界は、変化し続け、
タンパク質だけ取ったほうがよかったり、グルテンフリーの考え方が出たり、さらに様々な食事法が生まれそして、実践する方が増えてきました。そして、それの共通項はと考えていくと、なんと、
3美味しく食べる
しか残らないのです。
そうか、おいしく食べればいいのか!
そして、食べたいものを『美味しく食べる』ことを心がけることになったのです。なんだ、とっても簡単!
だけど、これが、一番難しかったのです。おいしいものを食べるのか、美味しく食べるのかでも話は全然違ってきます。昨日まで美味しかったのに今日美味しくないとかは、当たり前。私に美味しくても、子供たちに美味しくないことも多いです。
美味しいってなんだろう?
その時私の中に思い出されたのは、以前お寺でいただいたおかゆの味でした。お米と水だけ。塩が入ってるのか入っていないのかというくらいのただのおかゆでしたが、本当に美味しかったです。今ではそのお寺の名前も場所も思い出せませんが、その感動だけは覚えています。いつもはおかゆが好きではない子供も、美味しいと食べていました。
なんで、そのおかゆがそんなに美味しかったのか。そして、どんなに頑張ってもそれを超えるものが作れないのはどうしてなのか、いまだにわかりません。
ただ、材料や方法などの物質的なことではないのだろうなと思います。気持ちや動作や思いのような目に見えないものの重なりによるものなのではないかと・・・。
何を食べるかではなく、気持ちを込められるかというところを大切にして、
今は、その美味しいを目指して日々の食事を調えています。
0コメント